ラヴ・イング・ユー ― 水乃

  とうもろこし畑には化けものが棲んでる。
 それを信じたわけでもないけど、あの夜俺は海馬の部屋を訪れた。なぜなら、俺の部屋からはとうもろこし畑がよく見えたから。廊下はいやにしんとしていた。毛足の長いカーペットがやわらかすぎるスリッパの音をみんな吸収し、巨大すぎる迷路に迷い込んだようだった。夢見ているのかもしれなかった。慣れ親しんだ場所を引き離され、夢遊病になって屋敷を歩き回る少女のアニメを思い出した。違うのは、俺はむりやり引き離されてきたわけじゃないこと、あとそういえば少女ではないこと。そしてもちろん海馬も少女ではなかったけど、起きていて、ベッドの上でキングサイズでもまだ不服そうな足を組みかえ、タブレットからまっすぐに顔を上げた。「あと一分でも遅ければ寝るところだった」こいつが眠るなんて有り得るんだろうか。画面を伏せて、やつが身体をすこし左に空けるとますます俺はへんな心地がした。たとえ超満員のイベント会場のただなかに置かれたって、こいつが仁王立ちする足をすこしばかりでも閉じて、だれかに場所を生みだしてやるなんてこと、到底するようにはおもえなかった。
 俺は招かれた。窓から差し込んだ月か、タブレットの明かりがもれ出ているのか、部屋は全体に青白くて、重いベッドカバーを持ち上げると分厚い氷の板を動かしたようだった。俺たちは氷の下に横たわり、白く水色のシーツの海でもがき、そしてすべてが済むと海馬はほんとうに眠った。目や鼻の窪みや、顔の輪郭の下にたしかに骨が走っていること、その立体感が光によっていつもよりよく浮かび上がった(いつもより、というほどこれまでじっくり見たことはなかったが)。
 とうもろこしよりはいんげんをおもいだす、とその夜俺がおもった顎のラインを眺めながら、俺は空けてきた自分の部屋のことを考えた。畑の化けものが空っぽのベッドを覗きこみうろうろしている様をまぶたに描いた。やつはつぎはぎの腕をぶるぶる左右に振り回し、腹から藁の内臓を飛び出させ、ボロ布のカスをカーペットに点々と落としていく。落ちくぼんだ目はますます奥へとひずみ、切れ込みの口からうなりとも嘆きともつかない声が絞り出される。
 すこしだけ戻ってやればよかったのかもしれないとおもった。俺はもうそこにいないと教えてやればよかったのだ。けれど起き上がる気にはなれないまま、いつしか俺も眠っていた。


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