足先より愛を篭めて ― 佐迫さねりこ

 「──城之内、なんだこれは」
 キスの始まりはどちらかというと繊細で、丁寧だった。そんな始まりがまるで嘘だったみたいに突然唇を放り出され、そして低い声でそう詰られる。まだ浮ついたキスから完全に戻りきれてない俺はとりあえずそれまで閉じてあった眼を開けて、視線の先に海馬のいたく不機嫌そうな顔を見つけた。海馬が仏頂面を見せているなんてのは割といつものことで、でも長めの前髪に隠れがちの眉間にまで皺が寄っているということは、今夜の海馬は相当虫の居所が悪いらしい。どんだけ俺のキスがヘタクソなことにイラついているんだ。……いや俺のキスがヘタなのは別に今に始まった話じゃない。じゃあコイツ、何にイラついてるんだ?
「なんだって……何が?」
「これだ」
 言って、ベッドの上に乗り上げた海馬は同じベッドの上に胡坐を掻いて座っている俺の左足首を掴んだ。今日も日中は海馬コーポレーションの社長室でパソコンのキーボードを延々叩いていたんだろう、俺のよりも一回り大きく筋張った海馬の右手は、捕まえた俺の足首をぐいと引っ張り上げる。完全に油断していた俺は咄嗟に海馬の馬鹿力に抵抗できるはずもなく、「うわっ」と我ながら間抜けな声を上げてベッドの上にひっくり返った。──ぼすん、と俺の背中と体重を受け止めたベッドのマットレスが、全然その衝撃に動じていなさそうな軽い音を立てる。俺の視界からは海馬の姿が消え、代わりにこの男がいつも寝るときに使っているベッドのクリーム色をした天蓋が映り込んだ。仰向けに倒れたままポカンとしている俺に向けて、海馬がこの察しの悪い凡骨め、とでも言いたげな溜息混じりの低い声でこう言う。
「──一体何事だ、この足の爪は」
「……ああ……」
 そこまで言われて、俺はやっとアレか、と海馬が急に機嫌が悪くなった理由に思い当たった。──俺は自分の生活費と学費を稼ぐために、童実野高校に通いながら放課後や休みの日にバイトをしている(本当は童実野高校ではバイト厳禁で、そのために杏子はバイトをしてることがバレないよう大分苦労してるけど、俺は家庭環境がアレなので目を瞑ってもらっている形だ)。


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